2016年7月10日日曜日

ローザンヌ条約①(トルコがギリシャを打ち破って勝ち取った条約)

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トルコ戦士の皆様


今日は最近よく耳にするローザンヌ条約というものを取り上げてみようと思います。


ローザンヌ条約とは

第一次世界大戦時、トルコの前身オスマン帝国は宿敵ロシア(連合国イギリス・フランス・ロシア)をやっつけるため、同盟国(ドイツ・オーストリア・ブルガリア)につき参戦するわけですが・・・・

同盟国及びオスマン帝国は敗戦してしまいます。

1916年のオスマン帝国の領土

Ottman(オスマン帝国)
Greece(ギリシャ)
オレンジ線内がクルド人の居住区、この当時までほぼオスマン帝国内にクルド人は居住しています。



それで第一次大戦から終戦にかけ、この領土はどんどん縮小していきます。

敗戦し1920年にオスマン帝国は連合国とセーヴル条約を結ぶことになります。



1920年セーヴル条約後のオスマン帝国の領土

現在のイスタンブール付近までGreece(ギリシャ)に領土が奪われていますね。

これによりクルド人の居住区が分断される訳です。
もともとオスマン帝国内にあったクルド人居住区がシリア、イラクにまたがる訳ですね。
現在にいたるまでクルド人はこの分断には納得がいかず、ならば独立だとトルコ内で揉めている訳です。


それで、このセーブル条約は連合国とオスマン帝国とで結ばれた条約なのですが・・・

あまりに不平等で領土も大半を失っため、オスマン帝国内のトルコ人がムスタファ・ケマル・アタテュルク氏指導のもとに新政府を立ち上げます。

この新政府はイスタンブール付近まで領土を奪ったギリシャと戦い、そして勝利します。

これによりギリシャから奪われた領土も一部取り戻します。

そして、新政府はオスマン帝国と連合国との間に結ばれたセーヴル条約を破棄し、トルコ共和国として独立し新たに連合国と条約を結びことになります。

1923年に結んだこの条約が「ローザンヌ条約」です。

1923年ローザンヌ条約後のトルコ共和国の領土

ちなみこのムスタファ・ケマル・アタテュルク氏が立ち上げた新政府はアンカラで生まれました。


こういった歴史があるから、ギリシャとトルコはあまり仲が良くない訳ですね。

現在ギリシャはトルコのEU入りを反対しています。


なぜ「ローザンヌ条約」が結べたか。
ギリシャを打ち破ったトルコに対してイギリスはトルコを強い国だと認める訳です。
それにイギリス自身も第一次世界大戦中にダーダネルス海峡を巡る「ガリポリの戦い」でアタテュルク氏に返り討ちを喰らって敗れています。

黒海と地中海を結ぶ海峡を持つトルコを味方にすることで、ロシアへの牽制になると踏んだ訳ですね。

現在はアメリカもトルコをロシアの防波堤として利用していますね。



それで、イギリスはトルコと親英的な近代国家をつくることを約束し、いろいろ裏から手を廻しローザンヌ条約を成立させた訳ですね。


それで、どうもイギリスはトルコに対し不平等なセーヴル条約は破棄させてローザンヌ条約を結ばせてやるから、自国で資源開発を100年間やるなと密約を結ばさせていたようです。

要するにトルコに畏怖の念を抱いていた訳ですね。
発展して強くなられると困るというか・・・・

戦士の皆様、
ちょっと文が長くなりすぎたので・・・・
この密約についてはまた後日、書きます。

一旦終了ということでよろしくお願いします。


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1 件のコメント:

Leonard さんのコメント...

読み応えのあるローザンヌ条約解説ありがとうございます。
トルコはイギリスによって自由な発展を抑制されながら、これまで軽工業中心でも生き延びてきた底力の強さを感じました。
現在のリラ爆下げは、超工業化に向けて国外の資本・技術力流入のためのそれこそ先行投資、必要な痛みのように思えてきます。満了が7年後ということで、円高がどうなっているか予測が難しいですが、トルコ戦士としましてはどうしても期待に胸が膨らんでしまいます。第2弾楽しみにお待ちいたします。
Leo